待つ女
司馬遼太郎の『竜馬がゆく』はおもしろかった。
幕末という動乱の時代に志半ばで倒れたドラマティックな坂本龍馬の人生。
あっという間に読んでしまった。
時代の先を読む洞察力、先見性、行動力、決断力、交渉力、ものにこだわらない
潔さ、剣の強さばかりでなく、和歌や三味線も嗜んだようだし、愛嬌もある。
少なくとも、司馬遼太郎が作り出した人物像ということを差し引いてみても、
会ってみたいと思わせる魅力が確かにある。
でも、私は女だから男が活躍する物語の陰で生きた女性に関心が向く。
そこで、阿井景子の『龍馬の妻』と植松三十里の『お龍』を読んだ。

同じ女性を描いて、これほど違うものか。
昭和(1979年初版)と平成(2008年)の時代の違いかもしれない。
阿井作品は、龍馬の死後再婚した夫、妹との三角関係を中心にした愛憎ドラマ
として描かれている。島尾敏雄が帯で絶賛しているくらいだから、その心理的
葛藤はすさまじい。
植松作品は、お龍と龍馬との関係を中心に現代的なラブストーリーになっている。
日露戦争開戦間際に、皇后の夢枕に龍馬が現れたという話を権力は龍馬を軍神
に祭り上げ、戦意高揚に利用する。結末で龍馬を平和を望む和平主義者として
描いている点、共感できる。
いづれにしても、お龍は時代のはみ出し女だと思う。
同じ日に暗殺された中岡慎太郎の妻、兼とは正反対。
中岡慎太郎との家庭生活は、ほとんどなかったようだ。
男のすることに口出しせず、家を守り、親の面倒を見て、忍従の生活を当たり前の
ものとして受け入れ、その一生を終えたのだろう。
「嵐山 たかねの桜 おりかざし 帰れわが背子 花散らぬ間に」
という歌を残している。
夫が無事に帰って来ないことを知っていながら、帰ってきて欲しいと願う、待つ女の
気持ちが伝わってくる。
お龍にはこういう、抑制の利いた所はない。
海援隊の仲間からも評判が悪かったようだ。
家事は苦手で、無愛想だったみたいだし、思っていることを正直に口に出し、
行動するので、男の目から見れば、生意気に見えるだろうし、当時の女性に期待
される役割から逸脱している。
でも、龍馬にとっては「おもしろき女」なのだ。
龍馬の遺言には土佐の実家に彼女を預けるようにと記されている。
そもそも、これが見誤っている。
社会の動きは見えても、女の事はまったくわかっていない。
彼女がどうしたいかを聞いていないんだから、頭にくる!
時代を考えれば、無理もないけど・・・。
自分が脱藩してまで捨てた故郷の封建制に、当時の新しき女が適応できるわけが
ないではないか。金を持たせて、「自由に生きよ「と言ってやれと龍馬に会ったら
言ってやりたい。
龍馬との生活は3年ぐらいで、不在の時が多かったのに、その間お龍は
いったい何をやっていたのだろう。
ただ、ただ、龍馬を待っていたのだろうか?
港、港に女ありで、お龍以外にも女性はいたようだし、おもしろき女が不安と嫉妬
に駆られた「待つ女」では、ちょっと、哀しい。
晩年は、再婚したとはいえ、かなり重度のアルコール依存症だったようだ。
幸せかどうかなんてことは他人が図るものではないが、酒に溺れなければいられない
生活というのがあったのは事実だと思う。
大胆な行動力と裏腹に男性から見て放っておけない気持ちにさせる依存性が彼女
にはあったのだろう。
男性から見ると、強い女が見せる弱さは保護者本能をかきたてられるという。
身体的にも腰椎4番がガクッと緩んで骨盤が開き、情けない状態になる。
そういう状態は男性にとって、身体の面からも反応しやすく、惹きつけられるという。
片山さんから聞いたことがあるのを思い出した。
それを聞いて、何だそれーと反発したい気分になったっけ。
だって、弱みに付け込まれる感じがするもの。
まあ、恋愛発情期が過ぎ去った現在は平和ですけどねえ。
別に男性に愛されなくたって死ぬわけじゃない。
恋愛でも、なんでもそうだけれど、これが全てなんて状態になった時は要注意。
男が純度の高い死ぬための価値に殉じるなら、女の私はしたたかに、
生き延びてやる。
66歳も生きた、お龍はだからエライと言ってやりたい。
うーん、何でこんなこと考えはじめたのかな?
最初の出だしと結末が予想外の展開になってしまいました。
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