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2016年10月

2016年10月28日 (金)

坂の途中の家

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子どもの虐待事件が頻繁に起きている。
その痛ましさにやり切れない思いがする。
仕事柄、児童虐待については研修などで知識としてはあるのだが、
意識的に深刻な支援の場に関わることは避けてきた。

DV家庭で育ったということにも関係しているが、どうしても子どもの
視点で考えてしまうのと同時に虐待する母になるのも紙一重という思いとで引き裂
かれそうになってしまうからだ。

DVの被害者だった母は子どもの私には支配的な母親でもあったわけで、
この母親と格闘することにエネルギーを使ってきたので、自分が子どもを持つ、
母親になるという選択肢は自分の人生にはなかった。

それが自分にとって正しい選択だということに揺らぎはない。

だが、角田光代の『坂の途中の家』を読んで、本の帯にある「最愛の娘を殺した
母親は私かもしれない」という切実感には揺らいだ。

この小説は裁判員制度の補充裁判員に選ばれた専業主婦の主人公が
2歳の娘を殺した母親の裁判の中で、その証言に触れるうちに、自分の娘、
夫、義母、実家の両親、友人との関係を重ねながら自分の傷が露わになり、平穏で
幸せだと思っていた家族への違和感が膨らんでいく話だ。

周囲の目を気にし、我慢して言いたいことを言えずに飲み込んでしまう主人公に
イラつく場面もあるのだが、「正しいあるべき子育て」情報に溢れ、母親だけに過重
な子育ての責任を負わせる社会や環境の中では、誰にでも起きることではないだろうか。
そもそも、母親だけに子育てをさせることに無理があるのだから。

自分だったら、こんな場面にどう対応するのか、と何度も突きつけられる思いがした。

一見、子育てに協力的に見える夫が、無意識に妻を自分より貶めて優位に立とう
とする精神的な虐待(モラル・ハラスメント)の巧妙さ、虐待を疑われた時の不安と
屈辱、自分はダメな母親ではないかという劣等感に苛まれる気持ちに自分が
当事者になったような切迫感に襲われた。

私はこの主人公のように思いっきり、自分を主張し言うことを聞かない子どもを前に
深呼吸をして冷静さを装ってでも対応できるだろうか。

子育てに必要なのは忍耐力かと思わせられるほど、育児の大変さが描写され
ている。

子育ての体験がないのだから本当にはわからないと思う。
でも、身体に響くようなリアルな感覚が伝わってくるのだ。

角田光代の筆力、恐るべし!

強い言い方をしたり、優しく対応できなかった時に、何度も子どもを抱きしめて
謝る主人公の姿に心から「すごいな」と思った。

できる人にとってはなんでもないのだろうが、権威にこだわっている親はなかなか、
子どもに謝れない。

どんなに可愛くても、孤立した中で24時間、子どもの面倒を見ていたら消耗する。

子どもだってしたたかだ。いつも可愛い天使でいるわけじゃない。
そういう自分を思い出した。小学生の低学年だったかもしれない。
母がパートの仕事を見つけて、働きだした時のこと。
できる限り母の邪魔をして、パートの仕事をあきらめさせた。
時には、暴力を振るう嫌いな父の側に立って、夕飯の支度ができていないことを
一緒になじったこともあったっけ。

母はパートの仕事が楽しそうだった。それが、まず私には面白くなかったのだ。
母親が遠くに行ったような気持ちになって寂しかった。

だからといって、母親は子どもが小さいうちは家にいるべきなんて考え方には
加担しませんよ。

母親の立場になったら、私のような娘はさぞかし扱いにくい子どもだったろうなと
今ではわかる。

私はこの小説を読んで子育てしている女性達に心から敬意を払いたい気持ち
になった。

この小説は裁判員制度について考えるのにもいいし、真相は藪の中にも
かかわらず、主人公の今後はあなたの想像力次第というエンディングが読者の
選択に任せられている。

気が付いてしまったあなたはどんな人生の選択をするのかと・・・・。

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2016年10月20日 (木)

岩手県 花巻

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樹木葬の墓地を決めるだけで日帰りするのはもったいなくて、花巻温泉に二泊した。
花巻は宮澤賢治の故郷だ。

生きているときは不遇だったが、今やかなりの観光資源となって地域に貢献している。
連休のせいか人出が多く、賢治記念館は駐車場が満車で、停められなかった。

混んでいる場所は苦手だからパスして、イギリス海岸なる場所に行ってみた。
明治時代、地方の田舎に住むお金持ちの坊ちゃんの欧米に対する憧れ、
ハイカラ趣味には、今や気恥ずかしいぐらいだが、私にだってあった。

ずっと日本は脱亜入欧でやってきたから、無理もないか。
だから、戦時中の極端な外来語排除とかに行くのは、コンプレックスの反動形成
ってもんだ。

話が脱線。

賢治といえば体癖的に6種傾向で共通しているので、親和性はあるのだけど・・・

ストイック過ぎて、意識的に避けてきた。

「世界全体が幸せにならない内は個人の幸福はあり得ない」って言われちゃ、
永久に個人の幸せはないわ。
この大風呂敷について行けなかった。

でも、小学生の時に読んだ「よだかの星」は哀しくて哀しくて、ずっと、よだかの気分
に染まって死にたい気分になったっけ。

新幹線の中で読み直した「鹿踊りのはじまり」は故郷の風やリズムを感じていつ
読んでもなつかしい気分になる。

賢治が名づけたイギリス海岸は北上川のドーバー海峡に似ているからだそうだ。

031 今、水量が増えて、景色が変わってしまったらしいが、
                いい景色だった。

028 川の敷石を渡って、対岸を歩いた。

すると、「くるみの森」という無料休憩所があったので立ち寄った。

034ここは17年間もボランティアで訪れる観光客にお茶を出してもてなしている。
スタッフの平野さんが賢治の「雨ニモマケズ」の詩を花巻弁で朗読してくださった。

これには、感激。
しばし、時を過ごし、地元のご高齢のカップルとも話がはずんでしまい、名刺交換。いつでも連絡くれたら1000円で泊めてくださるとのこと。
言葉を真に受ける私に社交辞令は通じないと確認の上でのやりとり。
また知り合いができた。紅葉の時期、それはきれいだそうだ。

田舎の景色が好きだというと円万寺を薦められた。

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観音堂がある。円万寺は坂上田村麻呂が馬頭観音を勧請したのが起源とされる。

明治の廃仏毀釈のせいで、仏寺が神社になり、また戻されるという状態がそのまま残り、共存している。

下から歩いたら、けっこうな上り坂だが、車で行け、駐車場も完備。

ここからの眺望は素晴らしかった。
人がほとんどいなかったので、この景色を独占。

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バス亭には賢治の帽子とコートがかけた案内板にもなっている。

宿泊1日目は鉛温泉藤三旅館の湯治部

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古い建物が好きだから、障子戸のある部屋は落ち着いた。

022 温泉は立ち湯。
他にも白糸の湯、桂の湯と露天風呂も貸切風呂もある。
時間によって、男女入れ替わるようになっていた。

湯治場で長逗留する場合には、基本の部屋代に必要なアメニティなどの料金を
加算していくシステム。

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2016年10月14日 (金)

新潟県知事選挙

16日は新潟県知事選挙の投票日だ。

原発再稼働に反対してきた前知事の泉田氏が突然不出馬になり、4名が立候補
している。

報道によると自公推薦の元長岡市長森民夫氏と共産、社民、生活推薦の米山隆一氏
の二人が有力候補でどちらかで決まるようだ。

今回は民進党が自主投票を決め、民進党議員だった米山氏は離党して立候補。
民進党も連合傘下の電事連だから再稼働反対を強く主張している知事候補には、
応援はできないってことか。

野党機能も果たしえない民進党に何の期待もできないのは、分かっているけど、
腹が立つ。

朝日新聞の記事によると、争点となっている柏崎狩場原発の再稼働に「賛成」は
20%、「反対」は66%で反対している人が多い。
だが、いざ選挙となると原発に反対する候補はなかなか勝てない。

私としては米山氏が当選して欲しいが、情勢は拮抗しているらしい。

そこで占筮。

 森民夫が知事に当選する      風火家人九五
 米山隆一が知事に当選する    火風鼎九四
 それ以外の人が知事になる    火雷噬嗑六二 
              方針      地火明夷六二

易からの判断でいえば森氏でしょう。
家人が選挙にそれほど強いとは思えないが、家を治める君主といえば知事に
ふさわしいといえる。

鼎九四は鍋をひっくりかえして台無しにしてしまう意味だから、残念ながら無理。
出足の準備が足りなかったのかなあ。

森氏が知事になっても方針が明夷で傷つく卦。
自分の賢さを隠して忍従しながら、助けてくれるものをあてにするしかない。

卦辞 難(くるしみ)て貞なるに利あり

六二 左の股(もも)を夷(やぶ)る。用て拯(すく)う馬壮んなれば吉なり

知事として積極的にやれることなんてあるとは思えない。

政府のいいなりかあ?

もし、これで米山氏が勝てたら火風鼎九四の新たな判断が作れるんだけどなあ。
鼎九四は師匠の講座で前回、勉強したところだ。
あてにするものを持たなければ結果がいい場合があって、平穏。民進党をあてに
しなかった結果、勝利したなんて結果になるといいんだけど・・・

結果を見守ることにしよう。

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2016年10月10日 (月)

樹木葬

011                       墓地から見える風景

60歳になったら、自分の墓を探そうと思っていた。
色々と探してようやく見つけた。

両親の墓はあるのだが、そこに入りたくない。
死んでまで家を背負うのは嫌だ。自由でいたい。
家意識も希薄だし、ひとり暮らしの身、看取る人もなく孤独死の可能性が高い。
死んだら分からないのだからどうでもいいというのもありだが、生きている内に
自分の死を考え準備して置くのは、自分らしく生を全うするための選択として大事
だ。

最初、ネットである写真家の鳥葬の写真を見た。衝撃が走った。
これだ!と思った。インパクトのある写真だった。

天葬ともいうが主にチベットでの葬送の儀式だ。

死体を断片化しハゲタカなど鳥類に食べさせる。専門の鳥葬を執り行う職人がいて、
骨まで砕き何も残さない。

一切が無になる。

環境保全の視点でも自然を循環させることになるのだから理にかなっている。
だが、日本では難しい。

死が魂の解放された状態だと思えば、肉体はモノと化す。

その感覚は、私にも覚えがある。火葬場で母が骨になった姿を見た時、一瞬にして
ただの骨という物質になった。私は一体、何を見てきたのだろう?という疑問に
とまどった。どれだけ肉体に囚われていたのか思い知らされた。

つきものが落ちたかのように、死んだことが受け入れられた。

一切を無にという根源的な私の中にある欲望がどこから来ているのか、
よくわからない。
若い頃にあれほど自分の空虚感に苦しんできたのに、今そこが自分の存在の
あり方だと思える不思議。

人生は逆説に満ちているってこと?!

それで見つけたのは岩手県の山奥だ。

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2016年10月 1日 (土)

日本の太鼓 国立劇場

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        【24日】午後2時開演

             新作委嘱初演 作調=藤舎呂英
        鶴の寿 藤舎呂英連中
        八丈太鼓 八丈太鼓の会
        尾張新次郎太鼓 尾張新次郎太鼓保存会
        石見神楽 大蛇 谷住郷神楽社中
             作曲=林英哲
        独演 千年の寡黙 林英哲
             作曲=林英哲

        七星 林英哲・英哲風雲の会

        【25日】午後2時開演

             新作委嘱初演 作調=藤舎呂英
        鶴の寿 藤舎呂英連中

        佐原囃子 
あらく囃子連
        気仙町けんか七夕太鼓 気仙町けんか七夕保存会
        沖縄エイサー 
琉球國祭り太鼓
             作曲=林英哲

        独演 千年の寡黙 林英哲
             作曲=林英哲
        七星 林英哲・英哲風雲の会

国立劇場開場50周年記念で『日本の太鼓』を二日続けて行ってきた。

40年近く続いている公演だが、まったく知らなかった。

合気道がきっかけになって、日本的な身体の動きや伝統芸能に関心が向くよう
になった。
鬼剣舞から神楽に興味が湧き、能からは所作だけでなく装束や鼓の音にも惹かれる。
佐渡に行ってきたせいか、よけい民俗芸能に興味が湧く。

二日続けていくと割引になるのと易がよかったので行く気になったのだが、さほど
期待していなかった。

それが、二日間太鼓の響きを堪能した。

こんなに太鼓の音が多彩であるとは!

両日共通の演目鶴の寿は鼓の合奏から始まり、鶴に仮託された祝義曲だ。
その繊細で優雅な響きから、舞台空間を舞い降りる鶴が寿ぐ壮大な祝祭空間に
変容していった。囃子方が演奏の合間に発する掛け声が見事に場面転換を暗示
していた。
私は太鼓の音を聴きながら、気が静まっていく感じになった。

林英哲は和太鼓のソロ奏者として有名だ。

15年ぐらい前に、カウンセリング講座で一緒に学んだ人に誘われて
彼の公演に行ったことがある。

それ以来だから、彼の太鼓を聴くのは久しぶり。
二日続けて同じ演目の千年の寡黙とグループでの七星を二回聴けてよかった。

小柄だが、腕、背中の筋肉の付き方がすごい。
太鼓は体力勝負。佐渡の鬼太鼓座にいた時は、毎朝10キロ走らされ、
ボストンマラソンに出場してから演奏するというすさまじい、肉体訓練で鍛えられた
体だ。

舞台のトリにふさわしい迫力に満ちたものだった。

八丈島の八丈太鼓や陸前高田の気仙町けんか七夕太鼓は、勇壮だった。
尾張新次郎太鼓はバチ捌きのパフォーマンスが見事。

石見神楽は有名な「ヤマタノオロチ」の神話を主題にスサノオの命と大蛇の
死闘を見事な舞で見せてくれた。

沖縄のエイサーも若者たちがポップやロックを取り入れた動きで会場を
たちまち、明るい南国のエネルギーに染め上げた。  

なんでこんなに太鼓の音に惹かれるのだろう。
太鼓は縄文時代にも使われていた。
アフリカではトーキングドラムといって、コミュニケーションの道具でもあった。
祭礼や儀式を起源にしているが、太鼓のリズムはやはり命のリズムだ。

感動すると年のせいか涙が出てくることが多い。
季節的に胸椎4番がつまるので、イッキに太鼓の音で発散してゆるんだせいかも
しれない。

元気なうちは、毎年この公演を聴きに行きたい。
楽しみがまた、一つ増えて嬉しいな。

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