映画

2016年1月 2日 (土)

セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター

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セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター」が早稲田松竹で上映されている。

「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」や「Pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」の
ビム・ベンダース監督の作品。「ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ」との二本立てだから
かなりお得。

私は、ル・シネマで観たのだが、去年観たドキュメンタリー映画で一番感動した作品。

原題は The Salt of the Earthだから地の塩だ。
内容からいったら、クリスチャンでもなければよく分からないから一般向けではない。
だが、タイトルの孕んでいる意味を考えるにはぴったりだと思う。

世界的に有名なブラジル出身の写真家セバスチャン・サルガドの足跡を追う
ドキュメンタリーだ。

なぜ、このような写真が撮れるのかという探究心がこの映画を作らせたのだろう。
彼の写真の被写体となった人物たちはどんな悲惨な状況であろうと、神々しいのだ。
厳粛な美しさに圧倒されてしまう。

こんなに悲惨な現実を尊厳に満ちた写真に撮ることができるのは魂を交流させて
いるからだ。それは彼の出自に係わりがある。ブラジルの故郷では地主階級だが、
自然豊かな自給自足で暮らせる村で育った。小作人はいたが貧困はなかった。

夢のような子ども時代と呼べる光に満ちた環境に育ったことが原点にある。

戦乱による大量殺戮、貧困や飢餓で難民となる人々や過酷な労働に生きる
人たちなど、主に社会問題をテーマにしていたが、人間性への絶望に次第に
写真家は病んでいく。

写真のテーマも大地や自然へと物事の起源に変化していく。
大きなゾウガメを撮るシーンでもサルガドは魂を通わせている。

亡命者としてブラジルを離れている間に故郷の農園は旱魃と乱開発で子ども
時代の面影はない。無惨な禿山になっていた。
その森に200万本の植林をし森林を再生させるプロジェクトに取り組み、
森は見事に再生する。ラストシーンは感動的だ。

常に危険と隣り合わせの報道写真家としての職業は息子との関係にも影響を
及ぼす。彼にはダウン症も息子もいて、彼の存在が世界を広げてくれたという。
この映画には長男が父親の映像を撮ることに係わり、和解のドラマにもなっている。

日本人は人間も自然の一部だと思って自然と調和して生きてきたと思うが
時代が変われば、進歩、発展優先の近代化とともに環境破壊はあちこちで
起きている。
地球から見れば、人間の方がよっぽど害毒だと絶望的な気分になるが、まだ、
やれることはあるなと希望を感じることができる映画だった。

写真を通して生きる人間の魂の足跡に出遭うことのできる映画、
オススメです。

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2015年3月16日 (月)

映画 日本と原発

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友人の強い勧めで観に行ったドキュメンタリー映画『日本と原発』。
江古田のギャラリー古藤 での上映会は江古田映画祭の一環で開催され、ほぼ満席。

この映画、原発訴訟に長年携わっている現役弁護士が監督になって制作した映画です。
目的が明確なせいか、分かりやすい。

こういった露骨な啓蒙映画はあまり、好みではないけど、原発の何が問題なのかが、
よーく分かります。

それに、監督の河合弘明弁護士、キャラ立ちしています。
映画の中で映し出される仕事のパートナーの海渡雄一弁護士とのユーモラスな
かけあいトークに絶妙な信頼感が感じられ、上映時間としては長いのですが、
長さを感じさせない説得力のある作品でした。

日本全国あちこちで起こしている原発差し止め訴訟を担当する裁判官にとって
だって、原発資料はかなり負担のはずだから、資料を視覚化して理解してもらうと
いう戦略を考えたというのだから、さすが、弁護士、智恵が回ります。

訴訟は勝ち負けの世界。訴訟に勝つためには有効な手段になりえる、と
どんな反証にも耐えるように理論武装したといのだから、すごい。
日本から原発をなくしたいと思っている人たちには希望になる映画。

脱原発は選挙では争点にならなかったし、この4年間原発が止まっても電力は足りて
いたのに、またまた、再稼動なんていったい、この国はどうなっているのという絶望
ばかりが深まるばかりの心境でしたが、粘り強く、闘っている人たちがいるのは、
やはり希望です。

上映会では、監督河合弁護士のトークライブもあって、楽しい時間でした。
最後に飯館村の村民歌を独唱してくれました。
自分のことを金権弁護士と言い、確かに経歴を見ると、財界のためにだいぶ
お働きになったようですが、お金のために仕事ばかりしていると心に秋風が吹いて
くるので、社会貢献をしたくなったとの事。

稼いだ大金をつぎ込んで、原子力ムラと呼ばれる実態を実名入りで映像化したこと
には喝采を送りたい。原発がなきゃ、日本はやっていけないと思っている人たちを
転向させる道具としてのこの映画、
各地で上映会が開催され、口コミでも広がっています。

監督自身が身近で起きたエピソードを話してくれました。役所勤めをしていた夫
(私の推測では高級官僚でしょう)を持つ義母がこの映画を観て「原発はやっぱり、
まずいわね」と転向したそうです。もう一人は原発に関わっている省庁の高級官僚
の友人がこの映画を観て、転向したということを嬉しそうに語っていました。

オススメです。

たった、3兆6千億の金(石油や天然ガスなどの輸入代価)をけちって、その300倍
もの金がかかる原発を再稼動するというのはやはり、金の問題。

東京電力という民間会社の利益のために国を存亡の危機にさらしていいのか
という問いに、国民の本気度が試されていますよ。(これ、河合さんの言葉です)

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2014年1月10日 (金)

キューティー&ボクサー

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下書きに入れておいたままにしていた記事を更新します。

どうせ、私の感じたり考えたりしていることなんて少数派なんだよな、とへこんでいる時に飛び込んできた映画情報。

なになに、初めて頭をモヒカン狩りにして、ボクシングペインティングという技法で前衛
アートの世界で名を知られたアーティストの話!?と思いきや、篠原有司男と妻乃り子のドキュメンタリーだけど、女性の私の目かから見るとヒロインキューティーなる乃り子さんが主役を張っている。

ニューヨーク在住40年。80歳でも永遠の少年を地で生きている前衛アーティストと
21歳年下の「飼いならされない女」の生活が波乱に満ちたものでないはずはない。
芸術家同士のカップルの葛藤たるや凄まじいのが普通。

ロダンの恋人だったカミーユ・クローデル、高村智恵子の悲劇が思い浮かぶ。
以前観たみたことのあるポロックの映画を思い出した。私の好きな俳優エド・ハリスが
ポロックを演じていたっけ。
長年ポロックを支え続けた妻、リー・クラズナーが重なった。

アーティストだって食べていかなきゃならない。
生活の現実を担わされるのはたいてい女。前衛アーティストの夫だって、基本の
ところは妻を自分のアシスタントぐらいにしか思っていないんだから。

とはいっても、永遠の少年のままに近い夫を見捨てたりはしない。
率直な物言い、時には辛らつな言葉を投げかけながら、日々格闘。
この映画の中で、創作のために孤独になれる自分のスペースを確保し、キューティーが
誕生していくプロセスに思わず、涙が出てしまった。

映画と同時開催でパルコ美術館で観た二人展は、こじんまりとしていたスペース
だったが、エネルギーに満ちた作品群だった。

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2013年5月23日 (木)

カンタ!ティモール

前から観たいと思っていてなかなかタイミングが合わず、見逃していた
ドキュメンタリー映画「カンタ!ティモール」。
小旅行の気分で奥武蔵の高麗駅まで行ってきました。

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2012年12月30日 (日)

ドキュメンタリー映画 「長良川ド根性」

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歯医者の定期健診の後、ポレポレ東中野で映画を観てきた。
この映画館は私の御用達。帰りに神田川沿いの公園を高田馬場駅まで歩くのが、
映画の余韻にひたる時間になっている。

この日もなんとなく、まっすぐ家に帰りたくないなあ、というモードで期待もせずに観た
長良川ド根性』だが、見応えのある作品だった。

東海テレビが頑張っている。以前見た「死刑弁護人」も制作している。
司法の問題や死刑制度を考える上で示唆に富んだ内容だった。

没ネタになった番組から25年。
岐阜県郡上市にある大日岳を源流にする長良川の美しい映像から始る。

かつて長良川河口堰をめぐって建設推進、反対で激しく対立した場所。

河口で、はまぐりとしじみ漁で生きる桑名赤須賀の漁師たちの姿を遡って行く。
「桑名の焼き蛤」で有名な所だ。
漁は男の世界。映像からしじみ漁が命がけなのを知った。

最後まで河口堰の建設に反対した赤須賀漁民は中部圏の発展を阻害するエゴだ
と非難され、保証金の吊り上げが目的だとさえ言われた。
運用されて16年も経過した後に、環境保護を訴える愛知県の知事によって開門調査
が始る。
農地が必要だと干潟を埋め立てては放置し、水が必要だと言っては河口を堰き止める。
そのあげくに、水余りだから今度は開門すると言い出す政治のブレ。

公益という名のご都合主義、政治構造はいつも同じ。第一次産業に携わる人たちが
煮え湯を飲まされていく・・・。

河口堰によって絶滅寸前まで追い込まれたハマグリ漁も漁協組合独自で養殖に
乗り出し、研究に取り組んできた。乱獲を防ぐルールを作り、漁獲量は除々に
回復し、後に続く若い漁師たちも増え、活気が戻り始めている。
だが、ここまで来るまでには並大抵の努力ではなかった。

「ド根性」なんて言葉あまり好きではないけれど、映画の中心人物の秋田組合長
にはふさわしい。

8歳で孤児になった組合長が母方の出身地である赤須賀に引き取られ、地域に
恩返しができる生き方をしなければという使命感がどんな困難にも負けない
ぶれない生き方になったことが語られる。圧倒的な存在感。
組合長だけでなく出てくる漁師さんたちも皆、いい顔をしている。

欲を言えば、「家をかまってやれない生き方をしなければならない」と宣言されて
苦労を覚悟で結婚した妻の靖子さんの話も聴きたかった。
姿はあったが声はなかった。

姿を見れば、その苦労は如実だ。

男を中心にすれば骨太のヒーローのドラマになるが、闘ったのは男だけではない
はずだ。それには、別の映画が必要だな、きっと。

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2012年12月10日 (月)

ONE SHOT ONE KILL

ツイッターで見た中日記事。
『こんなに怖い選挙はない』>比例で自民党に入れるとした人の3割弱が「憲法9条」の
改訂には反対だと答え、実に半数近くが、将来的な「原発ゼロ」を求めているのである。
そうした矛盾の考えられる理由の一つ。
その党の主張をよく咀嚼せず、「何となく」投票先に決めて・・・あまりにも危険だ。

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投票日が近づいている。

民主党に落胆したからといって、国防軍をつくるとかやたら、はしゃいでいる党首を
かついでいる自民党に票がなだれ込むなんて・・・言葉がない。
目指すは、改憲と軍事化。

東京都知事選も副知事の猪瀬氏が優勢らしい。
私の周辺もバシッと決断できる強い人がいいとか、都政を熟知している経験者が
いいなど、具体的な検証もなしに現状追認派が多いので、ショックを受けている。

そんな時に2本のドキュメンタリーを2本観た。
『ラブ沖縄@辺野古・高江・普天間』と『ONE SHOT ONE KILL』。
両方とも影山あさ子さんと藤本幸久監督のコンビで制作された。

沖縄の基地建設に反対する抵抗運動を8年にも渉って撮影されたドキュメンタリー
の後に続いて、アメリカ海兵隊の新兵訓練所を撮った作品だ。
反対運動の基地は、海兵隊が使用する施設だ。

沖縄の海兵隊から 戦場へ送られる。
海兵隊に志願する若者達と新兵訓練の様子を追った映像は、68分の長さだが、
衝撃的だった。

軍に入隊すれば大学に行ける、よい仕事につけると思い、毎週500人もの若者たち
がブートキャンプ(新兵訓練所)にやってくる。
どこか幼さを残した今時の若者達。
大半の若者は貧しい。

多くの女性たちもいる。男女平等の達成が軍隊で人を殺せることなのかと、
フェミニストとして忸怩とした思いに駆られる。
そりゃあ、女だって殺せると思う。このような殺人マシーンを作る教育を受けたら。

ブートキャンプに到着した若者達は入った瞬間から軍隊の規律に絶対服従。
48時間眠る事はできない。「口を閉じろ!疑問を持つな!」全てに対して「Yes,Sir!」
洗脳教育そのまま。
考えずに瞬時に20通りの方法で人を殺せる訓練を受けるという。
戦場で生き延びるためには、疑問を持つ事は命取りになるからだろうが、
同じお金を使うなら、戦争を回避するための多文化共生教育や平和教育
に軍事費と同額の予算をつぎ込んだらと思うのだが。

格差社会と右傾化は対なのだろうか?
戦争をできる国にするということの実態は、疑問も持たずに家族や国家のために
死ねる人間を多量に必要とする。そのためには貧困層が増えてくれなければ軍事化
は無理だと実感させられた。

訓練を受けていく若者たちは、どんどんたくましくなっていく。無邪気にインタビュー
に答える彼ら。だが、それは、彼らがまだ人を殺していないから。

人を殺したら、元の自分には戻れない。この言葉は重い。
戦争の加害のトラウマはまだ、日本では充分語りつくされていないと思う。

ぜひ、若い人たちに見て欲しい。
そして、選挙に行って欲しい。

映画はポレポレ東中野で毎日15時から500円で見られます。

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2012年5月14日 (月)

祝の島(ほうりのしま)

ゴールデンウイークを過ぎて人が空いた頃、旅にでも行きたいなあと思っていたのだが、
易をとるとよくない卦ばかり。5月は静かに過ごしていた方がよさそうだ。

でも、「祝の島」を観て、瀬戸内海に浮かぶ小さなハート型の島に行ってみたい
と興奮気味になってしまった。

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というのは、20代の頃、松田正平という画家が描いた淡い色調の海の絵に出合った
ことがあったのを思い出した。確か祝島という離島に住んでいたというのを聞いた覚え
がある。若い頃はエッジがきいた絵が好みだったから、飄々とした軽味のある絵には
関心が向かなかったのに、彼の絵には柔らかい色調の中に透徹した眼差しと詩情を
感じて惹かれた。

一人の画家との縁も感じたが、ここは島民が28年も上関原発の反対運動をしてきた
島としても有名だ。だが、映画は運動に焦点をあてているのではなく、ふだんの島の
人たちの暮らしぶりに寄り添って進んでいく。

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2012年5月 5日 (土)

アレクセイと泉

毎年ポレポレ東中野恒例にになっている26年目のチェルノブイリというタイトルで
上映されていた「アレクセイと泉」と「祝の島」を観てきた。

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ここの所、映画で足を運ぶ気になるのはここぐらいだ。地味な作品が多いが、行って
後悔することがない。あちこちのミニシアターが消えていく中、貴重な映画館。
長く続いて欲しい。
上映後、監督の挨拶や制作に至った思いやこぼれ話が聞け、気楽に質問できる
雰囲気もいい。

森や大地は深刻に放射能で汚染されているにもかかわらず、村には一切放射能が
検出されない滾々と湧き出す泉と共に自給自足の生活を営む人々がいる。
奇跡としか思えないが、この村に住んでいるのは老人とアレクセイという若者だけ。

厳冬でも水汲みに30キロにもなるバケツを二つも天秤棒で運ばなければならず、
自然がどんなに美しくても刺激のない単調な生活。
ああ、こういう前近代的な生活に戻ることはできないなあというのが正直な気持ちだが、
どんなに危険だと言われても村から離れずに暮らすことを選ぶ老人達の姿は福島の
人達の思いにも重なる。

高濃度で汚染されている森のきのこは危険だという声に「食べたいものを我慢する
方がもっと体に悪い」などと聞くと「まったく、その通り!」と同調する自分がいる。

この映画は2002年に制作されている。10年後の村の人々やアレクセイは
その後どうなっているのだろう?
老人達の多くは鬼籍に入っているかもしれない。

ドラマチックなことは何一つ起きはしない。あるがままの自然を受け入れながら
身に適ったささやかな生活をしている人々の記録だ。

地図からも消されてしまった小さな村、ベルラーシ・ブジシチェ村。
坂本龍一の音楽がいい。

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2012年4月15日 (日)

ほかいびと

映像で桜を堪能した。ポレポレ東中野で観た「ほかいびと」だ。
信州伊那谷の四季をめぐる美しい風景が存分に味わえた。

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漂泊の俳人井上井月を演じる田中泯の存在感。
実際の井月がこんなにかっこよい風貌をしていたとは思えないけど、井月に憑依
していた。
緩急自在に淡々と語る樹木希林のナレーションも、近代を問うドキュメンタリーと
フィクションから成る作品への誘いとして、違和感なく映像の中に入って行けた。

大辞林によると、「ほかいびと」とは祝福する言葉を唱えて人の戸口に立ち、
食べ物をもらって歩いた者。物貰い、乞食をいう。

漂泊者というと種田山頭火が有名だが、圧倒的に男性が多い。
女性だと瞽女(ごぜ)ぐらいしか思い浮かばない。女性は産みの性として土地や
家に縛られ漂泊者になる自由なんてなかっただろう。地域共同体から排除されて
しまえば山姥にでもなるしかなさそうだ。

私はこの映画を見て自分の漂泊願望が刺激された。

映画では、井月の野垂れ死にのような形の死を近代がもたらした一つの死だと
捉えているようだ。幕末までの農村共同体は放浪者を受け入れていたらしい。
明治になって戸籍制度や徴兵制によって民衆への管理が進み、放浪者を排除して
いくようになったという。

閉鎖的だと思える農村共同体が漂泊者やよそ者を「まれ人」としてけ受け入れ
たからこそ、地域の文化は豊かになったという。

なるほど、漂泊者の文化的貢献だといえるが、私はどちらかというと貢献より
野垂れ死に関心が向き、惹かれてしまった。

現代では、益々人の死は見えなくなっている。

あの震災でたくさんの人たちが亡くなってもだ。被災者にとってはリアルでも
当事者でない者にとってはどこか他人事ではないか。情報や映像は肉体を通した
現実ではない気がするからだ。

漂泊しながら生きることは、何が起きるかわからない不確定な現実に身をさらし
ながら生きものとして朽ちていくことではないか、と究極の淵に自分を追い込んで
しまいたいような衝動を感じる。

いずれ死ぬのなら狭い墓石の中に閉じ込められるより、漂泊の果てに桜の木の
下を死に場所に土と化す方を選びたいなあ。

野垂れ死にロマンを感じるなんて・・・。
帰る場所のない放浪生活をする覚悟なんて持てそうもないくせに、桜の映像に
妖しい幻想をかきたてられてしまったみたいだ。

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2012年3月 7日 (水)

究竟の地 岩崎鬼剣舞の一年

鬼の仮面をかぶって剣を携え、大地を力強く踏みしめる勇壮な踊り。
初めて知った岩手の民族芸能鬼剣舞(おにけんばい)だ。
このドキュメンタリーのちらしを見て心が騒いだ。

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三宅流監督が1年に渡って岩崎の地に腰を据え、世代を越えて鬼剣舞を生活の一部
として生きる人々の記録を撮影した作品だ。

私のDNAにも東北の血が伝わっている。父方の先祖は岩手の水沢から山形に移り
住んだと聞いたことがある。
荒ぶる魂の源流は鬼にあると感じるのも、節分に「鬼は外!」と叫びたくないのもを
鬼に対する親和性が私の中にあるからかもしれない。

気功のお弟子さんが学生時代からこの鬼剣舞に魅せられて、毎年夏、踊りを習いに
行っていると聞いて、その縁にも驚いた。

腰を低くした激しい動きは腰の弾力と丹田に力がなければ持続できないものだ。
近代化とともに失われた鎮魂と祈りの踊りが1300年を越えて、受け継がれている。
東北大震災後の東北考える上で、このような地域が存在するということは希望では
ないだろうか。

閉ざされた共同体ではなく、開かれた共同体。
来るものは拒まず、去るものは追わずで入り口もおおっぴらで出口もおおっぴらと
語る庭元の一人剣舞のしなやかさにはほれぼれする。

基本的には男踊りが主だが、女舞も踊られている。

一人でも多くの人に観てもらいたいオススメの映画です。

ポレポレ東中野3月24日まで 上映中
各日12:50/18:00の2回上映

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