読書

2017年5月24日 (水)

縮充する日本「参加」が創り出す人口減少社会の希望

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ホームページで見た読書会の案内。
私のアンテナに引っかかったので、清瀬市中央図書館で開催の読書交流会に
参加してみた。

日本社会事業大学社会福祉学部福祉計画学科 菱沼幹男准教授が講師で
テーマの書籍をパワーポイントを使って説明。後半は参加者の自己紹介と
本の感想でかなりの時間をオーバーした。
内容からいって、参加者の発言を入れたら1時間半はきつい。

本の著者も講師も若い。でも参加者は私を含めて高齢者が多かった。
このギャップが現実を表しているようで、ちょっと複雑な気分。

黄昏ていく日本の社会の現実に直面するのは若い人達。
もっと若い人達に参加して欲しいけどねえ。

「縮充」という言葉は初めて聞く言葉。確実に人口が減り税収が少なくなる社会になる
のだから、そういう状況になっても地域がそこそこ幸せだと思える充実した社会の
仕組みを作ろうって内容だ。

著者は、コミュニティ・デザイナーとして地域の課題を地域に住む人たちが解決できる
ようにワークショップを中心とした手法でサポートしながら、デザインの力で成果を
上げてるようだ。

住民が主体で、住民の「参加」なくして「未来」なしと言い切っている。
まちづくり、政治行政、環境、情報、商業、芸術、医療・福祉、教育分野における
「参加」の流れを事例を交えて紹介しているので希望を感じた。
新書としては厚めなのだが、分かりやすい文章なので読みやすい。

本にも書いてあったが日本の公共の認識は「国や自治体が提供するもの」だという。
だから、みんなのことは他人事になりがちだ。
欧米では「わたしたちのもの」という認識で民こそが主体。

出発点からして違うよなあ。おまかせ民主主義でやってきたつけは大きい。

「わたくしごと」を「わたしたちごと」にする公共の概念にするためには
フェミニズムが言ってきた「個人的なことは政治的なこと」にも共通する課題だと思った。

地域の住民がいきいきと幸せに暮らすために地域の支え合い活動が必須だとしたら、
自分が支える地域は、自分を支えてくれる地域だという認識が不可欠だ。

単に行政の補完ではなく、主体的に住民が参加できる仕組みを創り出していく
ことは小さなことから始められる。そういう事例が具体的に紹介されているので、
住民の相互理解も深まるし、自己肯定感も高まる。

地域の活動のためには「楽しく」というのも重要な要素として主張されていたこと
に共感。
使命感や正義感だけではどんな活動もできない私のような人間には希望の書物と
なった。

講師から伺った秋田県藤里町のプラチナバンクの話は面白かった。
白神山地の麓にある自然の豊かな小さな町。だいぶ前だがグループで知り合いの
古民家に行ったことがある。
藤里町では障がい者、デイサービスに通っている高齢者でも意欲があれば支援が
できるように支援するためのシステムを創って地域を元気にしているという。

藤里町の取り組み
tp://www.nikkeibp.co.jp/atcl/tk/PPP/030700027/090500006/?ST=ppp-print

 

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2016年11月 2日 (水)

読書会のご案内

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護身術の講座で知り合った<子供の未来を語る会>を主宰している小川陽子
さんの誘いで読書会に参加しました。

実は以前から顔見知りだったことが分かったのですが、世間は狭いというべきか、
関心の向く先が同じなので、出逢う確率が高くなるのかもしれません。

前回は加藤陽子著の『それでも日本人は戦争を選んだ』でした。

前回のまとめです。「2report.pdf」をダウンロード

政治学者の東大名誉教授石田雄さんをお迎えしての読書会なので、
好奇心全開で参加しました。
92歳という年齢には驚きましたが、切実な平和への意思と謙虚で誠実なお人柄に
感銘しました。

戦争体験のある方たちがどんどん少なくなり、その実態が若い世代に伝わって
いるとは思えない現在、ささやかながらも中学生から80代の方までが書物を媒介に
感想や意見をやりとりできる場は貴重です。

だいぶ前ですが朝日新聞の声欄に投稿した
安倍首相に「人殺しを命じられる身を考えて」は、話題になりました。
関連記事のインタビューはこちらからご覧になれます。

12月1日(木)10:00~12:00 

文京区向ヶ丘地域活動センター (南北線 東大前下車)
参加費 200円(お茶菓子、資料代)

チラシは こちらです。「12.pdf」をダウンロード

テーマは戦後・憲法・民主主義。
読んだ本の紹介でもOK。
『敗北を抱きしめて上下』を読んでなくても、大丈夫です。
好奇心のみで参加した私でも、また参加したいと思ったのですから、関心があれば
どなたでも、気楽に参加できます。

お問合せ: ≪子供 の未来 を語る会≫小川陽子 bibliosalon@outlook.jp
        Tel:080-1182-8286

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2016年10月28日 (金)

坂の途中の家

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子どもの虐待事件が頻繁に起きている。
その痛ましさにやり切れない思いがする。
仕事柄、児童虐待については研修などで知識としてはあるのだが、
意識的に深刻な支援の場に関わることは避けてきた。

DV家庭で育ったということにも関係しているが、どうしても子どもの
視点で考えてしまうのと同時に虐待する母になるのも紙一重という思いとで引き裂
かれそうになってしまうからだ。

DVの被害者だった母は子どもの私には支配的な母親でもあったわけで、
この母親と格闘することにエネルギーを使ってきたので、自分が子どもを持つ、
母親になるという選択肢は自分の人生にはなかった。

それが自分にとって正しい選択だということに揺らぎはない。

だが、角田光代の『坂の途中の家』を読んで、本の帯にある「最愛の娘を殺した
母親は私かもしれない」という切実感には揺らいだ。

この小説は裁判員制度の補充裁判員に選ばれた専業主婦の主人公が
2歳の娘を殺した母親の裁判の中で、その証言に触れるうちに、自分の娘、
夫、義母、実家の両親、友人との関係を重ねながら自分の傷が露わになり、平穏で
幸せだと思っていた家族への違和感が膨らんでいく話だ。

周囲の目を気にし、我慢して言いたいことを言えずに飲み込んでしまう主人公に
イラつく場面もあるのだが、「正しいあるべき子育て」情報に溢れ、母親だけに過重
な子育ての責任を負わせる社会や環境の中では、誰にでも起きることではないだろうか。
そもそも、母親だけに子育てをさせることに無理があるのだから。

自分だったら、こんな場面にどう対応するのか、と何度も突きつけられる思いがした。

一見、子育てに協力的に見える夫が、無意識に妻を自分より貶めて優位に立とう
とする精神的な虐待(モラル・ハラスメント)の巧妙さ、虐待を疑われた時の不安と
屈辱、自分はダメな母親ではないかという劣等感に苛まれる気持ちに自分が
当事者になったような切迫感に襲われた。

私はこの主人公のように思いっきり、自分を主張し言うことを聞かない子どもを前に
深呼吸をして冷静さを装ってでも対応できるだろうか。

子育てに必要なのは忍耐力かと思わせられるほど、育児の大変さが描写され
ている。

子育ての体験がないのだから本当にはわからないと思う。
でも、身体に響くようなリアルな感覚が伝わってくるのだ。

角田光代の筆力、恐るべし!

強い言い方をしたり、優しく対応できなかった時に、何度も子どもを抱きしめて
謝る主人公の姿に心から「すごいな」と思った。

できる人にとってはなんでもないのだろうが、権威にこだわっている親はなかなか、
子どもに謝れない。

どんなに可愛くても、孤立した中で24時間、子どもの面倒を見ていたら消耗する。

子どもだってしたたかだ。いつも可愛い天使でいるわけじゃない。
そういう自分を思い出した。小学生の低学年だったかもしれない。
母がパートの仕事を見つけて、働きだした時のこと。
できる限り母の邪魔をして、パートの仕事をあきらめさせた。
時には、暴力を振るう嫌いな父の側に立って、夕飯の支度ができていないことを
一緒になじったこともあったっけ。

母はパートの仕事が楽しそうだった。それが、まず私には面白くなかったのだ。
母親が遠くに行ったような気持ちになって寂しかった。

だからといって、母親は子どもが小さいうちは家にいるべきなんて考え方には
加担しませんよ。

母親の立場になったら、私のような娘はさぞかし扱いにくい子どもだったろうなと
今ではわかる。

私はこの小説を読んで子育てしている女性達に心から敬意を払いたい気持ち
になった。

この小説は裁判員制度について考えるのにもいいし、真相は藪の中にも
かかわらず、主人公の今後はあなたの想像力次第というエンディングが読者の
選択に任せられている。

気が付いてしまったあなたはどんな人生の選択をするのかと・・・・。

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2016年2月10日 (水)

秋山祐徳太子の母

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この凛とした美しい女性が知る人ぞ知るブリキ彫刻家、秋山祐徳太子の母である。

東京芸大を受験する折には受験番号1番を取るために並び続ける話やら、
東京都知事選にも立候補して落選する話、「グリコ」スタイルで恥のサラリーマン
ハプニングまでやらかしてしまう息子の背後には、面白がって檄を飛ばしている
茶目っ気と人情味溢れた母がいる。

旅行中に読んで、思いっきり笑った。

この母にしてこの息子だ。
敬愛を込めて、明治女恐るべし。

新富町でお汁粉屋をやりながら子どもを育てた姿に悲惨さの片鱗もない。
花柳界を控えた、下町情緒の残る時代、隣近所の助け合いが当たり前だった
時代背景もあるだろうが、やっぱり、この方の人徳だと思わせる魅力がある。

60年にわたる母親との生活を史上最強の母子家庭と言うのは偽りでない
宣伝文句だと思う。

江戸っ子の言葉はこれだよねという江戸弁の切れ味のよさとイキのよさ。
なんでも、面白がってしまう開放的で、ウイットに富んだ親子の会話に
読み手まで励まされてしまう。

夫を早く亡くし、戦争を体験し、けして、平穏だったわけではない。
与えられた条件の中で柔軟に、自分の人生を思いっきり楽しんで生きた人の
潔さを感じた。

晩年には料理家の小林カツ代と意気投合し、本まで出してしまったというほどの
料理上手。

食べることを疎かにしていないというのも、私の価値観に親和的だった。
まだ、この方がご健在なら、ぜひ、お汁粉を食べに行きたかったなあと思ったくらい。

一人息子の育て方なんてスタンスで読むと、皆マザコンになりそうで危険。

まあ、マザコンも悪くないよねというスタンスになればしめたもの。
女性にやさしい男のできあがりだ。

オススメです。

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2014年4月 4日 (金)

『易経入門』 孔子がギリシャ悲劇を読んだら

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孔子がギリシア悲劇を読んだらというサブタイトルの『易経入門』氷見野良三著を
読みました。
著書は金融庁に勤務する官僚エリートです。私とはおよそ畑違いの分野の方で
すが、易経は本来君主が国を治めるための支配の道具という側面がありますから、
政治家や経営者に易経のファンは多いのかもしれません。

本当に易の考え方を活かせていたら、もうちょっとバランスのよい社会が生まれて
いてもいいのにと思ってしまいますけど。

易経をまったく知らない人が読んで分かりやすいかは疑問ですが、易経を実際の
生活に活かすべく学んでいる私には、おもしろく読めました。
といっても、判断の解釈を主にした内容の本ではありません。

易経の言葉をギリシャ悲劇の状況にあてはめて、相互に対話をしながら理解を
深め読み解いていく形で進んで行きます。

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2013年9月18日 (水)

木地の世界と辞書の世界

オリンピック招致の発表の夜、読み耽ってしまった本2冊。
『脊梁山脈』乙川優三郎著と『舟を編む』三浦しをん著。

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両方とも地味な世界を扱っています。『舟を編む』は本屋大賞を取って映画化されて
いるので、そのうちDVDで観てみるつもりです。

オリンピックでオールジャパンのモードになっているみたいですが、
とても私には付いていけません。

地味な世界で日本について考えてみる方が私には合っています。

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2013年1月11日 (金)

人質の朗読会

Photo死を前にして人はこんな物語を紡げるのだと深い余韻を残した
作品に巡り合いました。

深々と底冷えのする夜、一人静かに小川洋子の世界に引き
込まれました。

外国の山岳地帯で反政府ゲリラに拉致され人質になって
死んでしまった8人の朗読会とそれを聴いた政府軍の特殊部隊
通信兵の物語。

どの物語も心に響く。それは物語の中に語られる人たちの姿が立ち上がり、それが
どんなに不思議な物語でもかけがえのない過去として語られていくからだ。

一話毎の終りに表記されているプロフィールで、すでにこの世に存在していないと
いうことを思い知らされる。切なくなります。
でも、悲惨な話なはずなのに、こんな朗読会に立ち会えたら幸せではないかと
思いました。

退屈をまぎらわすために始った朗読会。

それは自分の中のしまわれている過去に、未来がどうあろうと損なわれない過去として
言葉の舟に乗せる営み。
物語のその場に居合わせて拍手をしたくなるような気持ちと同時に、物語ることが
切実に生きることに直結している作家魂を感じました。

そして読者に「あなたは死ぬ前にどんな物語を語るの?」と・・・。

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2012年5月17日 (木)

部屋 エマ・ドナヒュー

拉致され、7年もの間狭い部屋に監禁されながら生き延びた母子の物語。

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実在の事件が契機になっているようだが、センセーショナルに扱われる内容を5歳の
子どもの視点に立って語られるストーリーなので、最初、もどかしい気がしたが読み
進む内に、自分の中の「内なる子ども」と伴走していくような状態に・・・・。

500ページものボリュームは、脱出を試みるあたりから急展開していく。
子どもにとってはどんな環境でも、たとえそれが閉じ込められた部屋だとしても、
ふつうに感じるものだ。

子どもの語りによって描かれる閉ざされた部屋での母子一体の濃密な時間は、
幸せですらある。
救出された外の世界への違和感は、私たちの社会が孕んでいる問題を映し出す。

加害者から妊娠させられたという状況を考えただけでも、戦慄してしまうが、
生き延びるための支えが、愛情を向けられる子どもの存在だということは
当事者にとっては切実だ。

通常ならばおぞましいと感じると思うのに、このような状況で子どもを産む事に喜び
を感じる母親に違和感なく共感できたのは、犯人以外に関わる人間のいない絶望と
孤独が容易に想像できるし、子どもの視点で描かれてるせいだと思う。

閉じ込められているがゆえに形成された緊密な母子関係は、外の世界に復帰して
いく過程で変化していかざるを得ない。社会適応のために必要なプロセスは、
心理的な母親との分離という課題を迫られる。

そのためには、信頼できる他者が必要だ。その役割を果たしてくれているのが、
義理の祖父。この祖父がなかなか、魅力的。実の祖父は犯人の血が入っている
子どもということで嫌悪し、受け入れないが、義理の祖父は、ありのままに
受け止めてくれる。

新たな外の世界に適応していく困難は、特殊で過酷な状況とはいえ、閉ざされた
世界の中でなじんだ母子癒着ともいえる生活を喪失する痛みを伴うからだと思う。
そして、母親自身にとってもアイデンティティを揺るがす大きな体験になる。

こういう分離不安は私自身がずっと引きずって、癒される事はないから物語に
入り込んでしまう。

読み終わった時に思い出した。

この本は、カウンセリングの勉強をしている時に読んだエリアナ・ギルの
『虐待を受けた子どものプレイ・セラピー』で受けた感動に近いものがある。

現実の社会がどんなに過酷でも、自分を信じて歩みだすことができる、その力を
持っているという希望。成長ということはやはり脱皮していくことに近い。

母子が監禁されていた部屋にさよならを告げに行く場面は、
そのことを象徴しているように思えた。

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2011年2月10日 (木)

母の発達 笙野頼子

母との関係を幻想と言葉遊びで過激に描いてくれた痛快極まる毒に満ちた傑作。

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カルト的作家のようですが、むかし『二百会忌』を読んで以来、久方ぶりです。

母の縮小、母の発達、母の大回転音頭の三部作。
一晩で読んでしまった読後感が、不思議と爽快。

いまだに墓守娘だの、母が重いという本が売れているのだから、母の重荷を
背負った娘の問題は深刻だ。

不幸な母親の過大な期待に抑圧されている娘のヤツノに現れる症状が幻視、幻聴
になって炸裂する。母を自在に縮小したり拡大させたりするのは娘のヤツノだが、
母なるものは手ごわい。

支配的な母親に対抗するには、逃げるしかないのだがなかなかこれが絡め取られた
娘には難題。
私もそういう娘でしたからねえ。いまだに、私自身が母から自立できているのだろか
と思うくらいだ。一人の女性として考える視点ぐらいは身につけてるつもりだが、
あまり自信がない。

誰でもがヒトは母から生まれて来る。女も男も無意識のレベルで根源的に母なる
ものを求めていながら、現実に生きる女がすべて母の役割を見事に演じられるわけ
じゃない。母なるものには様々な、あるべき母親像が形成されていく。

母の挫折、不幸は娘を抑圧する。

作家は自分の母親が亡くなってすぐにこの作品を上梓したようだから、その切迫感といい、テンションの高さは半端じゃない。作家は言葉で格闘する。

個人的な母と娘の関係に止まらずに、世界に蔓延する母なるものの幻想を言葉の
魔術で見事に解体してくれた。
母親殺しと母親へのオマージュが共存していて、私は身につまされてしまった。

母を重荷に感じている方には、オススメです。ただし、体調のよいときに!

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2010年8月 9日 (月)

大浴女 (水浴びする女たち)

立秋を過ぎたせいでしょうか・・・、
久しぶりの雨が降って以来、いくらかしのぎやすくなりました。

酷暑の中でも、暇な時間は読書やDVD鑑賞。中国文学、中国映画にハマッテいます。
好奇心があるかぎり、人生退屈することはありません。

というわけで、図書館で直感的に選んだ本が『大浴女』鉄凝(ティエニン)。

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私と同世代の女性作家の作品。
セザンヌが描いた「水浴びする女たち」がタイトルになっている。

女たちの裸体が健康で、率直で、自然で、樹木や大地と融けあっている所が小説の
内容に呼応するからだという。

同世代とはいえ、中国の歴史、社会の変動の激しさは高度経済成長期に日本で
子ども時代を送った私とはまったく違う。

だが、どんな社会でも女性が「美味しいものが食べたい」、「おしゃれがしたい」、
「愛されたい」という欲望は共通しているようだ。

物語は、文革期を背景に子ども時代を過ごしたヒロインが2歳で事故死した末妹の
エピソードから始まっていく。

子どもが親とも切り離された生活を送らなければならない文革時代の様子は、
過酷で非人間的だ。暴虐ともいえる実態に驚いてしまうのだが・・・。

そういう時代に育った子どもたち。

妹の誕生にまつわる家族の秘密と欺瞞の中で悲劇は起きる。
「やましさ」をめぐる物語ともいえる。
作家のいうとおり罪悪感とは、研究に値する感情だ。あまりに人間的で・・・。

経済的自立を果たしたヒロインが40歳を目前に、幼馴染との結婚を断念する所で
終わるのだが、読み出したら止まらなくなってしまった。

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